(076)
二年 名主 角佐右エ門 吉佐エ門祖
三 〃 甚佐エ門 東国大風
四 名主 角佐エ門 林子平蟄居セシム
五 〃 甚佐エ門 高山彦九郎自殺ス壇保喜一和学講談所開〃
定行中山愛親ト会見ス
六 〃 五郎七 兵吾ノ祖
七 〃 〃
八 〃 元右エ門
九 〃 寛政暦成ル
十 〃
十一 〃 甚右衛門
十二 〃
享和元酉年 〃 高田屋嘉兵エウルップ島ニ大月●俗島の木標ヲタツ
百姓町人の苗字帯刀ヲ禁ズ 本居宣長殉ス
ニ 〃 五郎七
三 〃
(077)
文化元子年 名主 元右エ門
ニ 〃
三 〃 江戸大火
四 〃 角佐エ門
五 〃 万平 金平祖 間宮林蔵カラフトシベリヤ東部ヲ探検ス
六 〃 金平万六ノ祖
七 〃 元右エ門
八● 〃 弥治右エ門 明吉ノ祖
九 〃
十 〃 九佐エ門
十一● 〃 枡治郎 九佐エ門 角重ノ祖
十二 〃 良佐エ門 国三郎祖 戲記者東京伊歿ス
十三 〃 義佐エ門 九佐エ門
(078)
十四 名主 宗兵エ 長右エ門 英艦浦賀ニ来ル
文政元寅年 〃 喜佐エ門 良右エ門 喜右エ門ノ祖 二分金鋳ル
ニ 〃 弥治右エ門 近キ大地震
三 〃
四 〃 壇検校歿ス
五 〃 勇右エ門 三郎治祖
六 〃
七 〃 ニ朱銀一朱金を鋳ル
八 〃 九右エ門 ●作ノ祖 外国艦ノ撃攘ヲ令ス文政令ト云フ
九 〃 佐五右エ門
十 〃 弥佐エ門 菊蔵ノ祖
十一 〃
十二 〃 元右エ門 一朱銀鋳 松平楽翁卆ス
(079)
十三 名主 勇右エ門
天保元寅 〃 伊惣治 三郎治ノ祖 京都地震
二 〃 十返金一九歿ス
三 〃 弥治右エ門 頼山陽歿ス二朱金鋳ル
四 〃 東国大風而諸国凶罐
五 〃 弥惣治 滝治郎ノ祖
六 〃 天保通宝鋳 仙石騒動
七 〃 源大 源太郎ノ祖 天下大ニ飢饉
八 〃 元右エ門 大塩平八郎ノ乱 小判二分●鋳
九 〃 折右エ門 周助ノ祖 倹約令
十 〃
十一 〃 伊惣治 史ノ祖
十二 〃 金右エ門 金治ノ祖 谷分晁●
十三 〃 弥兵治 太市ノ祖 人情本ヲ出版発売禁
●水春水、獄死ス
(080)
十四 名主 将織右エ門 玉吉ノ祖 僧●沖殺
弘化元辰 〃 新五兵衛 友吉ノ祖
二 〃 源太
三 〃 弥平治 米艦浦賀ニ来リ返市ニ乞フ
四 〃 信濃大地震
嘉永元申 〃 奧右エ門 芳治郎ノ祖 滝沢馬●歿
孫右エ門 角重ノ祖
宝右エ門
二 〃 金右エ門 金治ノ祖 葛飾北斎歿
三 〃 七右エ門 階吉ノ祖 松代●御国廻
四 〃
五 〃 新五兵エ
六 〃 ●惣兵エ 嘉与作祖 家定将軍トナル 関東大震災
米使ペリー浦賀ニ入ル露艦
プーチャン長崎ニ来ル
安政元庚 〃 弥平治 日章旗ヲ艦印トス佐久間象山浦
米国ト和親条約十二修定。
(081)
英露二国ト和親條約ヲ結ブ
二 名主 元右エ門 江戸大地震 藤田東湖●●
●●ヲ大砲ニ鋳ル
和尚ト和親條約ヲ結ブ
三 〃 伊右エ門 伊佐エ門ノ祖 二ノ宮尊徳歿 二分金鋳ル
四 〃 〃
五 〃 安佐エ門 保治ノ祖 家光将軍トナル 井伊大老刺殺サル
六 〃 折織右エ門 安藤信正老中トナル
万延元申 〃 七右エ門 和宮将軍ニ配● 長藩外国船砲撃
大和五条ノ変 七鄕長門ニナル参勤交代止
二 〃 新五兵エ
惣右エ門
三 〃 弥平治 太市ノ祖
元治元乙 〃 元右エ門 長州征伐
慶應元丑 〃 勘兵エ 栄作ノ祖 條約締結勅許
二 〃 金右エ門 金治ノ祖 八月十四日夜大寒風雨
慶喜将軍トナル 再長州征伐
三 〃 弥兵エ 要七ノ祖 今上天皇践●十月改勅奉還
(081-1)
英露二国ト和親條約ヲ結ブ
二 名主 元右エ門 江戸大地震 藤田東湖●●
●●ヲ大砲ニ鋳ル
和尚ト和親條約ヲ結ブ
三 〃 伊右エ門 伊佐エ門ノ祖 二ノ宮尊徳歿 二分金鋳ル
四 〃 〃
五 〃 安佐エ門 保治ノ祖 家光将軍トナル 井伊大老刺殺サル
安藤信正老中トナル
文久元酉 〃 惣右エ門 定右エ門 和宮将軍ニ配● 長藩外国船砲撃
大和五条ノ変 七鄕長門ニナル参勤交代止
二 〃 新五兵エ
〃 惣右エ門
三 〃 弥平治 太市ノ祖
元治元乙 〃 元右エ門 長州征伐
慶應元丑 〃 勘兵エ 栄作ノ祖 條約締結勅許
二 〃 金右エ門 金治ノ祖 八月十四日夜大寒風雨
慶喜将軍トナル 再長州征伐
三 〃 弥兵エ 要七ノ祖 今上天皇践●十月改勅奉還
(082)
明治元辰 名主 秀之丞 三郎治父 江戸ノ東京ト改タ 会津征伐組頭新五兵エ
才治郎ノ事 〃お矢エ金右ェ門
氏同姓弥兵エ
二 〃 新五兵エ 全国二七六藩々籍奉還 藩主知事トナル
三 〃 惣右エ門 山中保一方 懲罰則ヲ定ム九月十九日平民二苗字ヲ許ス
四 〃 権兵エ 嘉与●ノ父 郵便電信設ケ七月廃藩置県三府七十二県
穢多非人の称ヲ廃ス其数三十八万二百八十八人
五 副戸長 松本伊佐エ門 学制発布 新紙幣発行 徴兵金改正
六 〃 太陽暦ヲ用フ十二月三日ヲ六年一月一日トス
鎮台ヲオク全国地租改正 ●高盛ヲ廃シ
地價●トス 秋地検着手
四月名主組頭ヲ廃シ名主ヲ戸長組頭ヲ副戸長ト称ス
年番名主伊佐エ門ナルニ粗ズ戸長と称スベキハ権兵
エニシテ伊左エ門ハ副戸長ナリ
七 用掛 巡査ヲオク七月八大二十四大区七小区ト称ス
八月人身ヲ質入トスル金銭賃借ヲ禁ズ
八 当地徴兵●メハ安政元年生レ七年召集セラル
郵便ハ本年ヨリ実施セラル十四年迠福島吉之丞
十六年迠
松本伊佐エ門十六年ヨリ前ヽヽヽ
(083)
九 用掛 松本伊佐エ門 廃刀ノ令ヲ下ス
大町街道改修
十 〃 松本虎二郎 減祖ノ勅下ル 西南ノ役
十一 〃 府県規制ヲ定ム 北●御巡幸碓水ヨリ長野経
大区制廃止 四月三十日用掛廃止
十二 〃 七月ヨリ高府村役場ヲ開ク
十三 甲信御巡幸
終
(084)
宝暦四年
水帳所有者及ビ後系者 附記
水帳所有人名 後系者 建坪 地價金 附記 後系者
松本茂助 52坪 0 滝治再興ス 義晴
孫三郎 松本崎太 38 76円630 明
〃 光兵エ 36 277,720 才之助火事二アイ更地市へ引越
小七 〃 善治郎 38 173,05 静馬
徳兵エ 〃 八作 30 69,510 冨一
半之丞 〃 弥作 40 110,400 義正
源大 〃 源太郎 55 34,110 公
〃 頼治 57 365,590 春男
平均 107,250
徳治郎 〃 儀佐エ門 廃家
以上支神八人
(085)
四郎右エ門 松本菊雄 63 220,910 福美
新右エ門 宮川喜作 64 276,460 ●人
新井●代太 41 209,560 眞
長佐エ門 佐藤吉弥 37 105,220 孝義
与佐エ門 新井来右衛門 41 183,240 太来夫
以上 濁沢五人 平均 199,080
松本三代吉 19 40,390 義伸
〃 市佐エ門 46 122,740 徳儀
仁佐エ門 〃 勝太郎 36 107,980 利治
興 七 〃 長太 30 144,800 豊馬
五郎右エ門 〃 佐左エ門 59 182,310 光男
〃 鉄左 38,450 守
佐藤孫策 47 105,750 長●
(086)
佐藤忠左エ門 34 82,190 安友
〃 太之助 30 86,050 虎男
〃 源重郎 41 880 房伸
平均 90,850 亀佐ハ当村平均数外ヨリ
歳左エ門 佐藤亀佐(水帳カシ失ツタト朝恵氏ノ話) 朝恵
以上11人
酒井冨士太郎 61 169,400 誠
〃 友吉 103 814,030 集包
小兵エ 〃 小右エ門 43 208,850 慎一
典惣右エ門 武田政十 41 154,850 勝男
丵右エ門 酒井艶作 62 243,970 武
山中佐五右エ門 52 275,960 来三男
源右エ門 〃 金八 33 130,540 守
(087)
権兵エ 松本権兵エ 65 280,560 菊雄
山中惣吉 46 125,750 巖
惣右エ門 〃 伊兵エ 78 317,580 惣吉ニヨリ水帳ヲ 保一
持チ分家すじ云フ
松本栄七 34 103,230 帷
六兵エ 〃 勇作 51 120,460 良
山中嘉吉 57 88,510 伍郎
以上上夏和十三人 平均 235,820
勘佐エ門 松本三治 67 105,520 哲
吉郎右エ門 〃吉佐エ門 61 346,820 伸忠
宝善院 小川外● 57 301,210 徳治
匠善院 松本久人 53 61,980 水帳何レニアルヤ 貴男
松林源内 40 110,410 知ラズ 正一
勘大 松本勘五佐エ門 45 94,880 茂作方ヨリ水帳持チ健男
分家ナリト云フ
(088)
松本幸太 26 36,410 聡彦
〃 茂作 32 79,770 武
太郎右エ門 滝沢作右エ門 55 183,700 久延
〃 慶治 34 123,900 慶顕
忠左エ門 柏原佐右エ門 5,330 絶家
左兵エ 西條喜助 26 51,730 晴好
杢之助 水帳ハ志神与兵エ二移ルトキ又正宝院預ルトキ二開〃今探ル二久人
源内方方二ハナシ
以上中夏和十二人 平均127,120
松本繁吉 34 58,060 ヤスエ
周助 65 281,340 (小坂)忠利
作兵エ 43 168,560 (堂下)忠幸
弥右エ門 松本弥右エ門 49 92,480 勇吉
平治郎 〃平治郎 46 245,330 ⚫️
(089)
松本要七 50 122,990 ⚫️
〃才治郎 49 262,640 史
〃清助 49 306,440 清信
善兵エ 松本神重郎 27 149,840 一⚫️
庄八 〃長之助 73 179,050 尊明
彦右エ門 和田織三郎 65 502,960 武義
松本庄作 50 121,810 敏幸
和田喜重郎 44 225,040 印茂
碁右エ門 大田八作 70 394,170 克信 水帳当番トアルヤ 国三郎方トアルヤ知ラズ
松本常右エ門 54 133,060 渉
大田国三郎 34 51,430 久男
弥五右エ門 中牧長作 51 206,410 みどり
〃周斉 34 51,430 昭二
(090)
元右エ門 松本虎三郎 186 1529,780 当家ハ元志神トアリ 武貴
以上 和田十九人 平均281,000
伊右エ門 松本伊右エ門 59 442,960 俊彦
七左エ門 〃嘉平治 55 243,640 清貴
〃彦四郎 42 149,580 政
〃栄作 63 663,650 宏
〃猪吉 67 344,490 幸喜
〃熊吉 〃 26,600 大町二移住ヨリ
以上 三〆地六人 平均326,820
大西孫作 45 239,980 林
甚左エ門 松本勘重 36 23,510 満
大西重兵エ 38 23,510 守
松本玉治 48 76,400 朔光
(091)
松本左重郎 66 321,530 又治郎
安左エ門 〃保治 49 243,630 高治
平助 〃金平 7 84,590
平右エ門 〃栄之助 45 361,180 平太
友右エ門 〃藤之助 40 186,800 ⚫️
〃文治郎 44 151,150 武平
〃重治郎 31 99,670 近⚫️
博治郎 〃滝治郎 62 141,540 滝登
〃九左エ門 45 141,530
奥右エ門 〃定三郎 48 162,940 芳信
〃喜代蔵 35 57,970 靖
市五郎 〃光市 44 87,430 幸雄
平均 154,890
(092)
庄七 松本兵吾 家宅ナク諸方流浪シアリ
市右エ門 〃新作 小県郡塩尻村ヘ移住シアリ
久右エ門 大西政七 松代ヘ移住シアリ 人事ニアツタトノ古記録アリ
屋敷の趾池にふたをしてある石塔もある
勘十と朝光の間大西林管理
以上 鴨之尾川句十六人(現存者)
大日方嘉三郎 35 221,440 栄治
喜太夫 〃 角重 47 219,210 直
五郎兵エ 〃 又兵エ 61 204,180 春吉
〃 幸作 47 231,640 勇
〃 浪治 52 263,200 孝人
以上 大河五人 平均 228,030
計五十三人 九十三人 四千四百十坪 一万八千二百七十二円五銭
平均 四十八坪五合 平均 百九十六円廿八銭
備考 此数に宝暦四年水帳所有者人名にして以下は明治二十八年消防器具
(093)
購入の際調査せしもうなり附記す
器具購入費稼算八十円にして内四十円を地價割とし残四十円の六分を
建坪割とし四分を平均割とす前表地価金は南小川村地籍に於て所有せる
額にして他村に及ばず又他部落の人にして本組に於て所有せる地價金は此
以外なり
計五十算通の中火災轉出等て現存せざるもの若干あり
(094)
松本吉之助氏少年の頃和田の学校にて修業中足部に負傷となし
其後全愉せず妹に家業を譲り専ら獨学にて学識を高め社会に奉仕
せられた殊に今昔物語「小川の泉郡誌の筧」編に協力等有名である二三の
短文を今昔物語より転載して氏の努力を偲び織見を讃える
中夏和道大神の桜
老木にて⚫️大何れの頃なりしか雷火にうたれ半ば朽ちてありしと明治騒動の
際根本に立てありし蜀⚫️柄に放火され樹身焦げて満をなし僅に余⚫️を
保つ一本科に伸び頂点に至り小なる若枝を生ず又根本より枝とも見るべき
太さ一と抱程なるもの湾曲して道路の上を蓋ふ樹勢⚫️る雅致花色亦一
枚の紅を呈し花時爛爛たる光景眞に賞勘観するにたへたり少童日に
来りて花翁に擬し遊ぶ明治廿三四年頃老朽風のために倒れ現今二代の
若木は廿三夜塔の前にあり
(095)
松は杉の壮大なる姿勢を欠くと⚫️も⚫️る韻致に富もの樹なる此木
大き二抱地上四五尺にして枝を生じ東西南北踠餐数十歩枝は垂
れて地に及び針葉細やかにして日光を⚫️まず四時新緑を湛へ幾
千世変らぬ色が見へたりとも明治廿一年春故なくして幹⚫️枯葉を生じ
漸く全枝に及ぼし終に枯死せり人皆以て奇異の思をなせり夏大火
めるに及び其前記たりしに驚く後筏切木目の数により役弐百年を経過
せし老木たりしを知ると云ふ
志神伊勢宮の生き鳥居
松の周り二尺四五寸なるある地上八九尺にて丁字形に枝を生じ他の同周
なき松の側面に穿入鳥居の形をなす其何れより出て何れに入りしか殆
ど⚫️せず人工を以て作りしにあらず自然にして且つ皇大神を斉き祀
れる境内なりければ時人神慮の然らしあるものとなし尊崇せし
とかやか々る名木も物質的風潮の澎⚫️として侵入せし明治現
(096)
代に来り罪深く人の子の僅かなる慾心のため境内の楽園と変
ずるとともに斧鍼の難と免がれる能はず今は空しくなり了りぬ
田島の桜
田島は四園殆ど田なるの故に田島といふが
此地もと反別(共有地の古称)にして草原なり又鹿島大神を祀りあり
草上藪の中一大桜樹あり四五尺にして抱大の枝東に蛻々として地に
達す四園障碍なく丘上の孤木なりければ自由に繁茂し假会ば
傘を擴げたるが如し韻地劣ると⚫️も雄大なる事遥に前の老桜を
凌ぐ花色稍白けれども満開の期之れを下瞰す又得難き名木なり
か々る名木も前鳥居木と同じく價若干金を以て杣人の斧の音を固く
に至れる 嗟呼四銘木銘木汝が盛時にありては終なき行路の人も
亦愛でぬ枯亡ここに幾星霜里人語れるもの稀なり我其の末路を
憐み記述して後世に傳ふ樹それ精あれば以て徳とすべきなり
(097)
其他社地に概ね神木ある数千百年⚫️鍼の音を聞かず大なるものに
至れては数人にて枹囲するに至るも此等も維新以来利用厚生の算盤
玉の上に伐木せらる 終り
社倉 松代町史ヨリ
時の藩主眞田幸貫公⚫️に殖産興業に意を用うると共に備考
貯蓄の必要なるに着眼し北沢源弥兵エに命じて社倉設置に関
して調査せしめ益々の必要を痛感し文政年中に之れを実現する
に决し遂に⚫️記の如く城内に城内に建設した
この丸に梁間五間横十八間のもの二棟御蔵屋敷内に五間と十八間
のもの一棟桜馬場西土手に三間と十二間のもの一棟本丸北吾妻
番地所東に五間と三十間一棟前島兵庫屋敷西に三号半と
八号のもの一棟其他領内村落の間にも社倉を設け藩府
(098)
自ら数万石の不動穀を貯蔵し且つ藩の家老惑以下有志
のものが時々若手俵づ、籾を寄附して前記社倉の蓄積して
社倉掛をおき之れを管理せしめ藩用の穀と時々交替して腐
れを防いだ 又封内在の社倉には其地域内の戸別に
籾或は雑穀幾⚫️宛を割当て且つ又人別毎に五合宛年々
支出せしめて固より租税にあらざるを以て初めは懇涌心勧誘して
藩府先づ二十分の一を⚫️へて資源に貯へしめ村々に掛を定めて管掌
せしめた 而して藩の役員が巡村して貯蔵高を調べた之れを社倉
改めと云ふ 欠く村社倉を設けざるなく其貯蔵籾も数百俵に達して
弘化震災の時社倉の埋没焼失したるもの少くなかったが尚囲穀を
融通して援助にあてたため飢餓を免れ領民先れも其卓見に服し
たりと云ふ 然るに震災に続いて海防の事起り天下の形勢年月を
追って多事に赴き又藩の財政も疲弊し救荒の手とうついとま
(098-1)
なく社倉は腐朽するも修理を施すなく廃藩の後全く其跡を
断つに至った
夏和村は和田のお堂と松本勇喜氏宅の間にあった 肝前火元右エ門の
代である 社倉改め⚫️あり
(099)
往時安曇平野ハ土地沈下し仁科三湖出来た前は高瀬川が上水内方
面ヘ流れて居ったとの学説がある或は関係があるかと思はれる
松本静馬氏ノ話 井戸堀ヲシタラ川ヨケ用ラシイ物ガ出タトノ話モ聞イタ
高府宮西冲カラ土器ガ出土サレ前平カラ黒礁石の破片石斧
矢尻出土シタ古代民族ノ旧蹟と想像サレルガ人類ト水ハツキモノダガ
太古ノ地穀ノ変動ハ不明ダ
上夏和酒井氏ノ集落ハ「むかい村」と今モ呼ブ青木村(現中条村)
青木ノムカイ二居住シ移動シタトノ説ガアル近村二外二ナイ新町源信寺
ノ壇徒デアル
清水尻大田家ハ上夏和二居住シ私方東傍二屋敷用ト思ハレル
(099-1)
結語
夏和前平ト高府八幡社宮西ト支神下原ハ目測デハ殆ト平行線
デアリ土質モ「くろぺいかなくそ」デヨク似テオル
大昔川ノ流レデアツタカト思ハレル礫層砂層ガ高府元町附近
夏和西峯夏和裏山酒井家墓附近支神大林附近等二アル
松本静馬氏ノ話二井戸堀ヲシタラ川ヨケ用ラシイ物ガ出タトノ話モ聞イタ
高府宮西冲カラ土器ガ出土サレ前平カラ黒礁石の破片石斧
矢尻出土シタ古代民族ノ旧蹟と想像サレルガ人類ト水ハツキモノダガ
太古ノ地穀ノ変動ハ不明ダ
上夏和酒井氏ノ集落ハ「むかい村」と今モ呼ブ青木村(現中条村)
青木ノムカイ二居住シ移動シタトノ説ガアル近村二外二ナイ新町源信寺
ノ壇徒デアル
清水尻大田家ハ上夏和二居住シ私方東傍二屋敷用ト思ハレル
(101)
延亭元年の古地図には清水庵一戸とある延享元年前に住んだと思はれる 私も⚫️に大角
庄ヘヨバレタ覚えがある 西村ー大田二家特別な交際があった
平石モ出タ墓モ夏和裏山ニアル琴平講モ上夏和ト沮ンデアッタ
松本やすえサン附近ヲはんまいばトヨブ大昔ノ食料配給所ガアッタト云ハレル
和田氏ハ和佐尾酒屋(家ノ名)カラ兄弟二人ガ沼田二小屋ヲタテテ住ミ
ツキ現在ノ宅地ニ入り兄ガ分家シタ少サイ木箱ニ古文書ガ入レテアルト
和田りえサンノ話ダガ拝見シナイ
旧家ニハ諸々ニ粗製ノ槍(ヤリ)ガアルガ猛獣ノ防除ノタメダロウト思ッ
又婚ニアル中位ノ刀ヲサシタトノ話ト人ノ枕元ニ箒ヲサカサニタテ刀
ヲ添へタノデアル
松本勇喜氏柏原恒次郎氏宅ノ仏壇本尊様ノ裏ノ文字
空幼和尚ゐ也ノ彫刻ハ珍シイモノダ
神仏ノ伽護ヲ尊ビ大吉ノ風物ヲ思イ農業ノ変化ヲ考へ古人ノ奮
闘ノ俤ヲ偲ビ後ノ世ノ方々ノ来考トスル珠ニ時代ハ常ニ動イテオル事ヲ
痛感スル
(102)
腹の神送り
起源は不明だが凡百年以前より行はれたと思はれる
腸チズス(昔のヤク病)を恐れた迷信業事である
範囲は和田から上の神楽組一円 祭事係が担当する
期日毎年九月二日、送り節句の日
当番 山中緑 山中家三男 松本菊雄三戸が一年宛順番にやる
集落の子供が一戸二枚ずつ紙を集めてくる
大きい子供が小判紙一枚を長い方へ四ツ切りにして貼り合せ「奉
送御腹之神」と書き上に線香でつるし穴をあけ紙ヨリを通
して麻柄(後には桑棒)に結びつけて用意をする前旗後旗と大
判旗もあった宝蔵倉の神楽の小太鼓を二人でかついで叩く鐘
も叩く前の列が「何の神送るや」と合唱する後列が「腹の神送るわや」
と合唱して答へるこれが道中のくり返しである