夏和区史・翻訳版(7)

(178)
七二会小学校歌       大正十四年一月三十一日制定 松本 薜作歌

一、民を守田の宮柱         太知り立て弥栄に
  進取の気象捨つるなく      永遠の訓亘り鈴ふ
  求めてやまぬ我叫び       進む文化に身を処して
  世の木鐸とならんため      知をば磨かんいだ吾等
  
二、神秘を包む春日山       月の円に照る姿
  これ品性の鏡ぞと       祖先の教令にあり
  至誠漲る我が心        善を励まし悪を去り
  高雅の人とならんため     徳を修めんいざ吾等

三、犀の清流行く畔        黙を語る篠平
  昔ゆかしき武士の道      亀鑑を今に残しけり
  腕に高鳴る我が血潮      剛健の志気養ひて
  君の御楯とならんため     体を鍛へんいざ吾等


(179)
         ●蛆
大正六年頃蟹蛆大繁殖シ春蚕ニ大被害アリ養蚕家モ其
原因ヲ知ラス予防モナカッタ餘リノ被害ニ中条高校ニ協議会アリ
郡長早川繁雄係員ヲ従ヘテ出張シ上田蚕種会社技師宮下
智三郎ノ講演ガアッタ蚕病予防事ム所ハ各村ニ駆除督励委
員ヲ嘱託シ蚕室床下ノ密閉捕獲器ノ取付ヲ強行シ爾ノ運
搬一布袋ニ入レル事生屑商業者ハ置場ヲ目貼ヲナシ大養蚕家ニハ
試商袋ヲ奉仕サセテ状況調査ヲナシタ養蚕家ハ早掃ヲトシ●蛆
ノ産卵前ニ桑ノ切リ込ミ(五岑四十五日迠ノ分)等手ヲ尽シタ
ソノタメ被害ガ順次減少シ現在ハ僅ノ被害デアル様ニナッタ


(180)
     椎茸栽培
昭和二十年頃松本史氏津久井式ヲ導入シテ始メラレタ
其後静岡ノ河村式ヲ導入シハウスノ建設指導ヲ受ケ促成栽培
ガ流行シ村ハ浸水槽ノ奨励補助金ヲ支出シ大発展ヲシタ
而シ水ガ多量ニ必要ナノデ場所ニヨリ生産ガマチマチダッタ 冬季間
ノ農家副業トシテ一大福音ヲ興シタホダ木原木ノ適当ナル太サガ
必要ナノデエノ木茸ノ発展モアリ振ハナイ

     エノキ茸栽培
昭和廿九年ころ大日方望氏導入シ冬季間ノ副業トシテ屋内作業
ト材料ノオガクズガ得易ク大イニ発展シタ大日方望氏生産組合長ニナリ
品質ノ向上ト研究ヲ進メ組合員ノ連絡ヲ計リ農協ノ協力モアリ村
内ニ普及シタ信州シメシノ人口増殖モ盛ニナッタ


(181)
     夏和区ノ異動戸
松本 時治     轉出   更科郡更北村(現長野市)
松本 辨之助    絶家   嗣子ナク先代松本元右門分家
松本 豊馬     轉出   名古屋市
佐藤 午治     合家   娘佐藤豊己ト結婚 佐藤源重郎ヨリ分家
酒井 清繁     轉出   高府町区ヘ 染吉ー冨吉郎
山中 嘉助 猫三郎 轉出   長野市、盛治山中伊兵栄ヨリ分家
柏原 恒治郎   絶家    嗣子ふさえ病死
松本 幸喜     轉出   嗣子ハジメ北海道ヘ
松本 熊吉     轉出   大町市南原町
松本 万六     轉出   更埴市稲荷山町
松本 近好     轉出   高府町区、下市場
大日方 春吉    轉出   長野市、父力吉


(182)
松林 寅治     轉入   兄源内ヨリ分家 田島
武田 正俊     轉入   兄三春ヨリ分家 夏和
松本 茂三郎    轉入   父栄七ヨリ分家
久保田 久文    轉入   久木区田島
松本 勉      轉入   儀父ト芳弥中条村月夜棚ヨリ
渡辺 毅      轉入   進聞家
小林 倭      轉入   高府町区小林清ノ分家 夏和
佐藤 義則     轉入   兄昌幸ヨリ分家 ハシノシタ
石坂 主税     轉入   久木区穴尾
大日方 光幸    轉入   父浪治ノ分家 鴨ノ尾
新井 信雄     轉入   兄弘ノ分家 一ノ口
酒井 政次     轉入   父恒治郎中条村長井 一ノ口中田と云ふ
大日方 望     轉入   兄直ノ分家


(183)
松本 弥寿雄   轉入     父宏ノ分家
磯野 武雄    轉入     
久田 朝治    轉入     久木区ヨリ
笠原 早苗    轉入     上野区大久保ヨリ 
酒井 万包    轉出     長野市稲田
松本 武晴    轉出     岡山県御津郡一宮町二三ー一〇、光一万
松本 政     轉出     東京都
松本 鶴吉    轉出     松本●作方ヨリ分家 長野市へ移住ス
松本 健三郎   轉出     北安曇郡池田町
戸谷 武芳    轉入     北地区古山ヨリ二〆地幸喜宅後
滝沢 伊之助   轉出     大工 大町市  嗣子定男 菊太郎ノ弟
●業の関係にて異動せる方が主である
滝沢 弘幸    轉出     群馬県(滝沢慶躇の子)


(184)
     開田記念碑(表)
由来我ガ郷土ノ耕地タルヤ山川栄行ノ間ニ在リテ斜面多ク水田ハ
約十分ノ二ニ過ギス地民米穀ヲ●望スルト誰モ良策ナク
空シノ年所ヲ経タリ然ルニ時合も大東亜戦争ニ際会シ国策ヘ
食糧増産ヲ強要シテ止マズ地民之ヲ好機ト為シ●然奢
起開田ノ議ヲ決メリ上司亦之ヲ賛シ第二次食糧増産計画
ニ加ツ測量設計資材調達等斬次進ミ昭和十八年十一月二十日
工ニ就ク長水耕地課長陣頭ニ在リ翼賛壮年団婦人会男
女青年団職場奉仕隊等村内ノ労力ハ勿論之ニ加フルニ長
野県師範学校中条農業学校村国民学校等ノ勤労
奉仕隊ヲ受入レ共ニ力ヲ協セ堀●渇水配水幾多ノ難関ヲ
突破シテ十九年七月一日揚水ニ成功シ八月七日竣工式ヲ挙ゲ其ノ
歓喜想ウニ余リ有リ此ノ間地区内四五八〇人受入二三二九人ノ


(185)
労力ト五六六五四円ノ工費ヲ要シ総面積八丁三反歩ヲ拓キ以テ
今日ノ美田ヲ成セリ之一ニ多数協力者各位ノ激励援助ノ賜ナリ
厚ニ慈ニ謝ス   嗚呼先人明アリ創業ヲ遂グ守成ハ子孫ノ
勤労ニ在リ今和平ノ日到ルシ●モ人口ノ増殖ハ食糧ノ苟安ヲ
許サズ希ハ高府水利組合運営ニ力ヲ注ギ益増産ノ実ヲ
挙ゲラレン事ヲ   今慈ニ開田十週年ヲ迎フ耕民記念碑ヲ建テ
其ノ業蹟ヲ後昆ニ伝ヘント欲シ来リテ予ニ嘱ス予モ亦郷土ノ愛
慕スル者ナリ敢テ不文ヲ顧ミズ其梗概ヲ敍シ併セテ書シテ石・
刻セシム
昭和二十九年十二月
元長野県中条高等学校教諭
            従大位 松本 薜選並書


(186)
(裏)上段          (裏)中段         (裏)下段
功労者           創立役員         建碑委員
長水耕地課長 安川潔    組合長 和田幸      委員長 山中来三男
南小川村長 大日方武雄   副組合長会計 山中来三男 副委員長 松本兵重
測量設計技師 板寄常治   幹事 坂井鹿哉      全会計 松本清信
 仝     金沢集太郎     松本菊雄      委員  宮川繁義
長野市    宮野屋       松本古寿          新井政義
長野市    宮尾一利      松本正一          新井待佑
諏訪市    小松製作所     大久保登          松本一衛
長野市    古畑澄       大西正治          松林正一
       松本覚       新井茂喜          松本覚
       酒井乙若      大日方喜代治        松本宗二
       北田すみの     大日方共治郎        大西健吾


(187)
                 北田茂          松本保典
                 北田儀源治        滝沢久近
                 松本伸忠         北田重雄
                 大田武光         和田幸
             相談役 新井待佑
                 松本兵重 


(189)
     役員
昭和二年南小川村議会ニテ区条例決議サレ十区域トシ区長及代理者
ヲ区内ノ内申ニヨリ決議シタ其後区ノ申告ニヨリ決定トナッタ
夏和区ハ区長ト総代二本建てニテ区長ハ土木関係等主ヲ村ノ委任事
項ヲ取扱総代ノ共有地ノ管理一般組内ノ事項ノ運営ニ当リ執行部
ハ総代副総代区長及代理者分館長ヲ以テ合議制トナッタ
昭和三年四月十大臣告知
初代区長松本鶴之助ー松本菊雄ー松本宏ー松本倫ー
松本利治ー松本幸雄ー山中巌ー松本恵ー松本清信
大日方望(昭和四十七年)松本福美
総代松本虎三郎 長年酒井荒三郎 病気退社大正八年
松本武春 昭和十六年病気退任
宮川太市倶楽部総理二十名ノ評議員アリ
松本武晴氏ハ公務他出ノタメ組内ノ協議ニ来ガセズ副総代ノ私ニテ代行シ
テ当時ハ共金カリテ全般ノ支出ニ当り領収書等証憑書類ヲ三人ノ


(200)
監査役(新井幸治松本藤田後ニ大田貢松本滋男ノ承認ヲ受ケ毎
年四月十六日総会ニ提出承認ヲ受ケ三年ニ一回任期末ニハ謄写シテ各人ニ
配ッタ 昭和 年頃共有金ガナクナリ予算ヲタテ等級ニヨリ組費トシテ
支出シタ公民館ノ事業発達ト共ニ多額ニナッタ
松本一栄 27年  松本兵十 三年 山中来三男 25年 松本尊明 松本伸忠 宮川●人
松本史 44年  山中巌 47年 松本敏幸
     出身ノ村議
宮川太市   山中伊之松2キ  松本金治2キ  西条小一郎   松本滋男
松本武晴3キ  松本在之助   中牧磯吾  松本菊雄2キ昭和八年五月、昭和十二年五月
大日方春吉  大田貢   松本一弟   松本静馬
酒井四朗   松本軟治  松本政   松本伸忠
松本一栄5キ  松本保典2ギ   松本保典2ギ   松本守   松本宏
松本福美   松本平太   酒井政次   松本芳美


(201)
夏和村戸数が少ない頃の和の考想        各戸ニ付テ調べ●●号進アルカモ知ラズ
延享元年頃 39戸ト空室1            地図デ見ル家ノ位置

下夏和四戸
植原塩次郎      三戸不明 忠左エ門 水の底 古仏儀ヨリ

上夏和四戸
酒井慎一       堂一
酒井武
山中巌
松本菊雄       古地図

上佐峯一戸
佐藤朝恵       藤左エ門水帳

下佐峯一戸
松本光男       五郎右エ門水帳

上濁沢一戸
佐藤吉ヤ       古地図 長左エ門水帳

下濁沢一戸
宮川凬人       堂ノワキ 古地図

支神六戸
松本         古地図トアワナイ
松本冨一
松本公
松本明
松本静馬
松本元右エ門

吉原二戸
転失

川迎二戸
松本満
松本朝光       古地図

火川一戸
大日方南重      喜太夫水帳

鴨之尾十二戸
兵吾新作 政七転出   一戸不明
 〃 平戸助 〃
松本保治 安左エ門転出

松本孝雄 市五郎転出
松本滋男 奥右エ門転出
松本滝堂 侾次郎転出
松本恵 友右エ門〃
松本幸太 平右エ門転出
大西勝 真水地エ門水帳

三〆地一戸
松本清貢       水帳 古仏儀ヨリ

しみしり一戸
大田充信       古地図

和田四戸
和田武我
松本勇来
松本直門
松本 史       古地図 


(202)
寛延三年頃 43戸  堂4

下夏和七戸
西条晴好      壮兵士水帳
松本健男
松本哲       両方の家にワッタ家
松本健忠      両方の家にワッタ家
松本長男
小川徳治
渋沢久近      太郎右エ門水帳
相原塩治郎     忠左エ門水帳

上夏和六戸 
酒井映一      堂一
酒井 武
山中 肇
松本 良
山中 巌
松本菊雄      古地図

上佐峯二戸
佐藤房伸
佐●●恵       水帳

下佐峯ニ戸
松本利治
松本光男

濁沢三戸
宮川凬人
新井仲ノ助
佐藤吉ヤ      古地図

袖 五戸
松本富一
松本 公
松本 明
松本●馬
松本元右エ門

吉原ナシ

大川一戸
大日方角重     喜太夫水帳

川迎ニ戸
松本朝光      古地図
松本 満

鴨之尾十戸
松本幸雄      堂一(二回移動アリ)安左エ門
松本滋男      市五郎 奥右エ門
松本滝登
松本 恵
松本平太 松本金平
大西 勝
  新作政七    転出

三乄池ニ戸
松本俊彦
松本清貢      七左エ門水帳 古仏像

和田四戸
和田武義
松本尊明
松本 史      古地図
松本勇来      堂一


(203)
     昭和四十七年区内世帯
松本福美 明  新井信雄 明  酒井政治 金         一ノ口 3

宮川凰人 明  新井太喜夫 明  新井眞 明          濁沢 3

松本明 明  松本長好 明  松本静馬 明  松本富一 明  松本公 明
松本茂一 明  松本利隆 明  松本春男 明         支神 8

松本徳儀 金  松本喜伴 金  松本利治 金  松本光男 金  松本守 金 佐藤朝
恵 明  佐藤房伸 明  佐藤虎男 明  佐藤友安 明  佐藤長麦 明 佐峰 10
 
松本健弘 金  山中寅男 明  山中守 明  酒井武 源
坂井慎一 源  武田勝男 金  山中保一 明  山中巌 明  松本推 金
松本良 金  山中伍郎 明  松本勉 金  武田正俊 金  松本聡子 金
●辺毅    小林倭                      上夏和 16

松本健男 明  松本貴男 金  松本哲 金  松本伸忠 金  松林正一 金
小川徳治 金  滝沢久近 明  松本成 明  松本聡彦 明  西条晴好 金 


(204)
松本渉 明  久保田久文  和田邦茂 法  大田充伸 法  大田久男 法
中牧利治 明  大久保亮 明  中牧昭二  松本やすい 明  松本忠利 明
松本忠幸 明  松本一衛 明  松本清信 法  松本益富 明  松本善雄 明
松本智     松本史 明  和田武義 法  松本敏幸 明  松本克幸 明
●籐番 公明  須藤熊栄 明  松林幸延 金           和田 23

●山勝義 法  松本俊彦 明  久保田朝治  松本清貴 明  笠原早苗 法金
松本宏 明  石坂文武 金  松本弥寿雄 明           三貫地 8

大西林 金  三好美代盛 金  大西守 金            川迎 8

松本元二郎 明  松本清一 明  松本幸雄 明  松本恵 明  松本平太 明
松本文雄 明  松本滝登 明  松本芳信 明  松本靖 明  松本幸好 明
                                 鴨之尾 10
大日方直 法  大日方千秋 法  大日方虎雄 法  大日方孝人 法 大日方勇 法
大日方望 法                           大川 6
                                 計105
                                 金剛寺
                                 明松寺


(205)
     青年会白馬登山記
大正十年七月廿五日   総員四十三名   氏名略ス
午前三時出発縦走山中唯恵方ニテ休憩九時半細野ニテ登山案内人ヲ雇イ
二タ又ニテ中食小林区出張所ヘ入山ノ届ヲナス松川ノ激流ニ沿イ断崖ノ登山道
ヲ登レバ山水ノ絵画ノ様ニ水ハ淡々トシテ飛沫ヲ散シ山ハ峩然トシテ千古不変
ノ姿ヲ顕シソノ自然ノ景色心中ヨク涼シ或はイタドリニ似タル山草ノ七八尺モ
●長セン密林ヲ眺メトキニハ一抱エモアル森林ガ風雪ノタメ倒壊シタル山神ノ怒墳
ノ跡ヲ眺メ一里ニシテ猿倉小屋ニ達ス 細野青年会ノ茶ノ接待アリ更ニ松川
ノ上流ニ遡リ耳朶ニ流々タル水音ヲ打タレテ始メテ氷河ヲ渡ル盛夏ノ候誠
珍シキ感アリ進ミテ白馬尾ノ小屋ニ至リ休憩ス進ミテ大雪渓ニカカル此間
十八丁程雄大ナル壮観壁ヘン様ナシ時々寒暖ノ気風交互ニ来リ顔面ニ
異様ナル刺●ヲ●●「タテカベ」ト称スル最急傾斜面ヲ過ル時ニ夕立アリ側
方ニソバタテル断崖ヨリ雨ノタメ落下スル石塊雪煙ヲ飛バシテ落ツル様物


(206)
棲ニ●ヲ冷シタル●再三アノネブカ平才花畑ヲ経テ上ル頃身体ノ疲労
甚シ日ハ暮方ニナリテ心ハアセレドモ行進ハカドラズタマタマ前方設営隊
ヨリ頂上ノ小屋見ユトノ連絡アリ 一同気勢大イニアガル六時頃頂上ニ達ス
太陽ハ海ノ彼方ニ没して夕照ノ遠望壮観ナリ県設小屋ニ山客トナル食事
木炭毛布等白馬館ノ経営スル小屋ヨリ購給セリ夜景ヲ眺ムレバ左方
一面ノ傾斜地ヲ白雪アリ遠ク富山市ノ電燈ハ掌中ニアルガ如シ互ニ持来
ノ酒肴ニ異仙ノ興ヲナス毛布三人ニ二枚ヲ借リ就眠スレバ蚤群ノ攻撃
猛烈ナルニ閉口ス翌廿六日三時半起床御来光シ展望セント九千五
百尺ノ最高峰ニ至ル遺憾下雲ノタメ妨ゲキシタガ白鳥吾ガ迎ヘテ面
白シ遙ニ四方ヲ眺ムレバ天界ニ在リシ身ノ感アリ其神聖ニシテ雄大ナル
趣筆ノ古ノ及ブ処ニ非ズ下界一面ヲ見渡セバ富士山ヲ始メ立山剱
岳ヲ筆頭ニ大小ノ山容眼下ニ影シ又姫川松川黒辺ノ諸川平地ヲ
縫ウテ蜿々トシテ白帆ヲ飾リシ北海ニソソグ様実ニ面白シ此壮絶崇


(207)
高ナルヲ記念トシテ離山ニテ撮影ヲナス之ヨリ一ハ帰路ヲ前日ノ通リ
一ハ十七名ニテ均子●ノ縦走ニ趣ク離山ヨリ峯傅ヘニ一山越ヘレバオ花
畑ハ今ヲ盛リニ百花咲キ乱レオコマ草白馬草等ノ珍草アリタマ〱
一羽ノ蝶ハ百草ノ恋愛ヲ身ニ浴ビテ楽ニ〃舞踏スル様面白ク
杓子岳ノ中腹ヲ横ギリ石礫ノ道ヲタドル事暫時白馬捨ノ中腹
ニ至リ急勾配ノ曲折ヲヨジテハイ松ノ枝ヲタドリテ小倉ノ峯ニ至リ其●
数間ノ間両側断崖ニテ底知レヌ危険ノ個所アリ 互ニ警メテ過グ
東京都ノ方二人ト同行スル上リテ槍ノ絶頂ニ至リ陛下ノ萬歳ト
夏和青年会ノ万歳ヲ唱ウ タマ〱大雨ニオソワレ加エ霧深クトザサレ
暫時ノ間危険カギリナシ 急傾斜ノ礫間ヲ飛ビ下ル十丁程ニシテ
一小窪地ノ此所ハ大町口登山者ノ露営地ニシテ白馬ニ通ズル
間道アリト聞ク又急傾斜ヲ下リテ約二十丁危険ナル雪渓ヲ横
切リ山ノ傍ニ傅ヘテ白馬搶温泉ニ至ル海抜七千尺全国最


(208)
高地ノ温泉トカヤ天然湧水ハ棚田ノ如ク窪メタル澑ヲ作リ顧客ヲ
待ツ一面ニ緑色ノ湯花ニ被ハレ面白シ入浴シテ心身ヲ慰メ草畳ノ
小屋ニ休ミテ中食ヲナス湯ニ温メタル正宗ハ一ンボ味アリ出ラ廣漢
7丁に及ブ雪渓アリ新開道軒挙ビテ猿倉ニ出テ二又ヲ経テ四ツ谷
ニ廻リ五時飯田村山舘支店ニ投宿ス小林区署員ノ談ニヨレバ本
年ノ最大ノ図隊ナリト一事故モナク白馬槍杓子ノ縦走ノ決行モ
運ノ幸ナリ
            青年会長記(松本 菊雄)


(209)
     昭和四十七年長寿祝受領者 八十歳以上金三千円

松本静馬   松本長治   新井はぎ   松本こめじ
松本もと   松本菊雄   松本たかし   松本なが
和田りえ   松本ますの  松本朝光    松本みえ
松本ふじよ  松本武平   大日方ふじの  松本尊明
大日方栄治

     小学校問題

夏和組内に二校派 一校派があった
一校派は郡議 村議 有力者 時代認識者
二校派は大衆であった
二校派の主張は児童を遠距離通学をきらい尚佐峯の児童を
花尾学校へ通わせる等の説を出し佐峯家庭の歓迎をうけた


(210)
村長に陳情も数回やり組内協議は和田の倶楽部にて酒と
そうめんの食事のため共有金の支出が多かった
二校派の中に融和性がなく理解のない自己一点張り獨走の人があり
大衆の歓迎があった    久木は宮川繁治氏(村議)花尾は宮下山吉(村議)は関心
がなかった 分教場所在のため   高府町は二派あり主に営業
者は二校派であった(学校が近いため
二校派は小根山上区峯村三●弥氏を主催者とする若手の同調者
を加へた。村会の決議により一校と決定した 明治四十三年四月決議仝四十一年七月
高府小学校小根山小学校廃し六月尋常高等小学校統合 私第一回卒業生であった
校長酒井荒三郎氏は七ニ会小学校へ転勤となった
其後数年は対立が甚しく大衆心理で極端に万事対立で殊に選挙
について甚しくおされて村議になった人もあった 舟平神楽殿の所理等共有物等
処理あり 祭事係酒井清繁責任をとって各種団体は解散して青年会だけとなった
会長松本武晴 副会長松本菊雄 


(211)
順次必要にせまりて復活したが選挙に付いては露呈であった

約八十八才以上の長寿者         故人

松本まん(88) 松本守方ヨリ 名主津治弥  松本こめじ(94) 津治弥妻
松本もと(86) 守の母         松本ひろ(91) 戸主静馬方婚取 
酒井新五兵エ(88) 妻の房から養子   吉原きみ(97) 中条村幸宅から 医土元徹の娘
酒井友吉(91) キナサから酒井栄包分  酒井伸治(95) 慎一方鴨之尾酒井小右ェ門(92)
山中たま(93) 権兵エの姉       松本権兵エ(88) 松本しゅん(96)権兵エ妻
松本けさ(93)権兵エ母中尾カラ     松本きい 源治妻哲方(96)
松本すて(92)吉儀母          松本なが(96)史の母光一ヨリ知ラセナシ
松本ひさ(86)源太妻          大西いも(87)守の母里原より
松本かの(94)新佐妻成就より      松本猪吉(88)


(212)
順次必要にせまりて復活したが選挙に付いては露呈であった

約八十八才以上の長寿者         故人

松本まん(88) 松本守方ヨリ 名主津治弥  松本こめじ(94) 津治弥妻
松本もと(86) 守の母          松本ひろ(91) 戸主静馬方婚取 
酒井新五兵エ(88) 妻の房から養子    吉原きみ(97) 中条村幸宅から 医土元徹の娘
酒井友吉(91) キナサから酒井栄包分   酒井伸治(95) 慎一方鴨之尾酒井小右ェ門(92)
山中たま(93) 権兵エの姉        松本権兵エ(88) 松本しゅん(96)権兵エ妻
松本けさ(93)権兵エ母中尾カラ      松本きい 源治妻哲方(96)
松本すて(92)吉儀母           松本虎三郎  武晴祖父
松本ひさ(86)源太妻           大西いも(87)守の母里原より
松本かの(94)新佐妻成就より       松本猪吉(88)


(213)
西條好吉(90)西條晴好方の大久保安ギより   松本おみよ(91)松本尊明方
松本藤之助(86)フキ畑葺津治作方ヨリ松本恵方  松本か乃(85)久木権田●捨ナリ松本健男エ
大田実蔵(88)清水尾久男方          新井はき(95)新井幸治の姉
大日方ふじの(88)孝人母
松本菊雄(88)
松本長j治(86)茂一の父
秋田りえ(88)

昭和三年区長報告ヲモトニシタ其後ノ分ヲカキ添ヘル記録デアルソレ以前
ノ分ハ資料ガナイノデ不明ナリ


(214)
某旅団秋期幹部作戦演習
松本虎三郎方●には旅団長紺屋(酒井友吉方)には副官私宅には機関鋭隊見習士官の
少尉と兵六人とまった東と酒屋に電話を●●も僧会が
二三四きた朝出発して模擬演習をやった まず馬杭付近で
斥候の衝突あり支神原中腹(原山氏の上の道)の敵と清水尻との
間に大衝突あり本隊遂に支神原高地を占領してそのまま
長野方面へ進軍した

寺関係    寺別 ニ〇三頁ヨリ
 曹洞宗
明松寺 檀徒総代 松本福美 昭和四十九年改選 
    帳元 山中保一 松本史利 松本福美
金剛寺 檀徒総代 松本菊隆(故 前宮川太市)


(215)
檀徒凡 二百軒 帳元 松本伸忠 大西守 宮川隼人 松本菊雄
    信徒  帳元 山中保一 松本史 松本武幸 松本尊明
法蔵寺 元檀徒 総代 故 和田幸
    帳元和田武芳
源信寺 故タクオン住職ノ親分 故沢井荒二郎 

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